自分と異なるオトコに固執するより似てる人の方が長続き?


何度でも言うけれど、最初から完成した男なんていない。
こないだも年下の女友達Sちゃん(未婚)と飲んだ時、共通の知人男性をさして「あの人がいちばんステキです」と言うんだけど、

だからその人、既婚!!!

佐伯はドンとテーブルを叩いた。

話を聞けばうまくいきそうな優良物件だって近くにいるのに、「なんか惚れられてる気がしない」とか「服装がいまいち」と駄目出しばかり。
なんで惚れられてる気がしないと思うわけ? と詳しく話を聞いてみれば、気がないどころか、あるよあるよ、その人、あんたに今ちょー来てるよ、としか思えない言動してるのに、Sちゃん、さらりとした様子で言う。

「いかんせん電波が弱すぎるんですよ。わたし、バリ3でないと反応しません」

今までさんざん「バリ3の男」にひどい目に遭わされてきたにも関わらず、である。

いちいち説明しなくても、このコラムを読んでる研究熱心な皆さんならわかると思うけど、「バリ3の男」というのはいわゆる「肉食系男子」である。その手の男は大抵既婚者だし(あっちこっちに種をまくので早いうちに出来婚する)、独身者で彼女がいてもあちこちに種をまく。

なぜか? 
それは男にいわせると「死ぬのが怖いから」だそうな。これは佐伯の好きな映画『月の輝く夜に』に出てきた「どうして浮気するの?」という女の問いに対する男のセリフである。

男は死ぬのが怖いからできるだけ子孫を残したい。記録によるとそのタイトル保持者はチンギス・ハーンの子供千人。現在、その子孫は増えに増えて1600万人になっているという。どんだけ死ぬのが怖かったんですか、という話である。

だから、そういうあちこち系の面倒くさいのはおいといて。

話が本題に戻るけれど、一緒にいてうまくいくのはやっぱり「根っこが同じ人」である。
人生の、特に幼少期の環境が似ている人は話が合う。佐伯のまわりを見てみても、ヤンキーならヤンキー同士、崩壊家庭育ちは崩壊家庭育ち同士、お坊ちゃんはお嬢様と、やっぱり、生活背景が似ている者同士の結婚はうまくいってることが多い。

なぜなら話がツーカーで「うん、わかるわかる」と共感しやすく、一緒にいて安心できるってことなんだろうと思う。

となれば話は簡単で、まず自分がどういう環境で育ってきたかを振り返り、それと似た人を探せば、おのずと自分の売り手市場が浮かび上がってくるのではなかろうか。
山の手育ちか下町育ちか。過保護か放置か、兄弟の構成は。高校の頃、スクールカーストではどの位置に生息していたか。そういう、徹底した自分リサーチができてるかどうかが、女としての幸せを勝ち得るか否かの分かれ道と思う。

ある女流作家さんの話だけど、「彼の実家に遊びに行った時、玄関先のプランターにパンジーの花が咲いているのを見て結婚を確信した」という女性がいる。
なんでそう思ったかというと、彼女は幼少の頃から自分の家の玄関先のプランターにパンジーが咲いているのがイヤでたまらず、そこから抜け出るためにありとあらゆる努力をしたという。彼女いわく、パンジーの花そのものがイヤなのではなく、プランターにちんまり咲いてる小市民的なノリがイヤだったのだそうだ。

だから、同じように上京して東京で頑張っている同業者の彼の実家に行った時、そこの玄関先のプランターにパンジーが咲いているのを見た時、「ああこの人もこれがイヤで今日まで頑張ってきたのだな」と、一瞬にして彼の心の闇を見抜いたのだそうだ。

まあ、このパンジーが別にトマトでもカボチャでもかまわないんだけど、「貧乏体験」だとか」「親が離婚して」とか、そういう、とくに痛みを伴う共通体験というのは絆をつよめる。
「親が忙しくて晩御飯はごはんにタラコだった」とか、「おやつは近所の駄菓子屋の店の奥で食べれる100円もんじゃだった」とか「中学時代いじめられていた」とか、たぶん、それは恥ずかしければ恥ずかしいほどいいのかも知れない。
やっぱり人生、隣にいる人と喜びも悲しみも分け合ってナンボだから、一緒にいてラクな人が結局はいちばんいいんだよね、Sちゃん!