子供時代に親から安心感を与えられずに育った子供は、大人になってからも「愛着障害」という症状に苦しむことが多いそうです。
この愛着障害、詳しく知りたい方は専門書がたくさん出てますが、
今このコラムでさっくりあげると主な症状は以下の通り。
基本的に自信がない。
「いらない」と言われるのが怖い。
人の目が気になって仕方がない。
だから、つい相手に合わせてしまう。
そしてストレスが溜まり、ある日爆発。
この繰り返しで、すっかり人との関わりが怖くなってしまっている。
いくつになっても人との絆が実感できないまま年をとっている。
……この通り、ならべてみるとさして目新しいことでもない。
昔AD(アダルトチルドレン)、今愛着障害、という解釈でもいいのかな、と。
ただ、子供のころに親からちゃんと愛情を与えられて育った人は、上のように思いそうになってもなんとか人生やりくりできる。
それに対し、愛情の貯金がない「愛着障害」の人々は、言ってみればゲームにおける無課金ユーザーみたいなもの。
腰ミノひとつで武器も持たずにジャングルに入り込むようなもので、あっという間に猛獣やら疫病やらにやられてしまいます。
そこで最初に結論ですが、これって私のことだ!と思ったそこの人、アナタはなんにも悪くない。
なぜなら、子どもの頃に与えられなかったものを求めるのは当然の欲求で、それは一通り満たしてやれば必ず落ち着くものだからです。
なのに、
・「俺が助けてやるから安心しろ」っていうから信じてついてったら嫁がいた
・ずっと一緒にいよう、と言われたのに支えきれなくなった途端に逃げられた
・手を差し伸べられたので付き合ったら似たような子を数人囲っていた
こういう恋愛相談が佐伯のところにはとっても多く持ち込まれます。
こういう話を聞くたびに落ち込んでしまうのは、世の中いかに、
「愛情不足で苦しんでる」人たちからさらに搾取しようとするバカ男が多いかって事実をしみじみと思い知らされるからです。
そしてその結果、ますます男というものを信じられなくなっていく。
そういう女の子たちを見るととっても胸が痛みます。
ですが、そこで声を大にして言いたいのは、
世の中、決してそんなバカな男ばかりじゃないってこと。
誠実な人、心の温かい人、そういう人はいっぱいいます。
いや、むしろそっちのが多い。
ためしに想像してみてください、絶対的な安心感を自分にもたらしてくれる人、手を伸ばせばいつでもその手をしっかり握りしめてくれる人、自分が望めば拒絶せずに心ゆくまで抱っこしてくれる人、そういう人と手をつないで日当たりの良い道を散歩する日々。
そういう日々を望むことの一体どこがいけないんでしょうか?
そのために必要なことはシンプルに以下の流れだと思うんです。
1.まずは自分の飢餓感情の存在を自覚すること
2.次はそれをどうにかして特定の相手以外で満たすこと
3.満を持してその経緯を理解してくれる誰かに出会うこと
まず1。自分には愛着障害の傾向がある、と肝に銘じて行動する。
こういうのって、無自覚のまま突っ走るのがいちばんいけないことなのですが、意識の光
をそこに当てれば変な物件に引っかかるのは避けられます。これは自分の車のクセを熟知
したドライバーは事故が少ないのと一緒。
次は2。情緒の安定した人たちと交流する、好きなことに没頭する、搾取系とは関わりを断つ、負のスパイラルを回避するには、意識的に自分にやさしい環境づくりをすることが大切。
暮らしが落ち着いている友人、話をわかってくれそうな人、相性の良いカウンセラー、等々。明るい方へ、明るい方へ、が基本です。
そして3.一生一緒にいられる人というのは、おうおうにしてじんわりと「この人かなあ」と思えるような人。間違っても今まであなたがさんざん引っかかってきたような、
「吊り橋効果的・ドキドキのヒト」や、
「ストックホルム症候群的・命の危険込みのハラハラのヒト」などではありません。
以上、この流れに乗れればこの「愛着障害」問題、かなり改善されると思います。
マストなのは1と2。3はご縁というか、あればラッキー、という感じ。ただ1と2だけでも十分に幸せになってる人はいくらでもいます。
……以上、今週のおまゆう(おまえがゆうな)的なお題についての考察でした。
最後になりますが、この愛着障害、どんなに頑張って克服してもどこかに片鱗は残ります。
怪我がひどいとカサブタが落ちても傷あとがうっすら残るように、どんなに過去を乗り越えてオッケーな自分になっても、ひとり夜中に目が覚めて泣いたりする日は必ず来る。
ですが、そこでうろたえてはいけない。
人生とはそーゆーもの、と割り切って浸ってしまいましょう。夜中の三時に目が覚めて涙する、そういう闇がある女ってけっこう魅力的ですよ。