モテの大敵『自分嫌い』の処方箋はコレ!

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「自分が嫌い」っていう人、多いですよね。でも私は「自分好き」と「自分嫌い」は基本的に同じものだと思ってます。

なぜなら、両方とも「自分というものに多大なる関心を持っている」点では一緒だから。

向いてる方向が違うだけで、どちらも自分に関心がありすぎるんです。

 

だから、いつなんどきも他人の目が気になって仕方がない。

女子は特に、男性目線はもちろん、女性の目も気にしてしまう。そのあげく、シンプルにオトコにモテたかっただけのはずなのに、気づくといつの間にか「同性から『イケてる女』って思われたい」などとヘンなことになっている。

道を歩く。

向こうから別の女性が歩いてくる。

アナタは瞬時にジャッジする。

相手の女性より自分のほうが「上だ」と思えば優越感にひたるし、「下だ」と思えば今度は劣等感にさいなまれてウジウジする。

どっちにしても、そういうことを考える自分に気づくたびに「嫌だなァ」と落ち込みます。

どこまで続く、この無間地獄。

そして佐伯が見る限り、この問題に対し、女子の対処法は次のふたつに分かれます。

ドラクエの選択肢でいうところの「たたかう」「にげる」のどっちかです。

「たたかう」女性はどんな女性とすれ違っても劣等感にさいなまれないよう、ありとあらゆる努力をする。

化粧をしたり、モテテクを研究したり、はては美容整形にチャレンジしたり。

一方、「にげる」女性は「女」戦線を早々に離脱し、独自の境地を確立することで自らの身を守る。

仕事を頑張ったり、趣味に生きたり、とにかく「女市場」での争いをひたすら避け、孤高の人となってサン然と輝くコースを選びます。

 

でもみんな結局、あれやこれやと努力する点ではどちらも一緒なのかも知れない。

そういう意味では、みんなどこかでなにがしかの「たたかう」道を選んでる。

ただ、どこかでそんな生き方に息苦しさを感じてもいて、だから例の「ありの~、ままの~」という歌が世界的に大ヒットしてるのかも知れない。

みんな、ありのままの自分が愛せないから、それを認めてくれる言葉を求めてるのだ。

事実、自分が「ダメだなー」と思っているとき、イケてる(ように見える)人を見るのはつらい。

だから足を引っぱったり、逆に距離をとったりする。

だけど、たまさかそんな人を見てしまい、その彼女が憧れのあの人と・・・なんてなるともうアウト。ひたすらにネガティブスパイラル街道をまっしぐらです。

 

しかし、私はあえて、ひとこと言わせていただきたいのです。

もしそんな風に思っちゃったとしてもそれ、自分を責める必要はないんじゃないかってこと。

なぜなら、「嫉妬」の感情そのものは、ヒトの身体にもともとDNAレベルで備わったものであって、それ自体に罪の意識を感じる必要はない。

要するに、

生き物である以上、この感情は誰の中にも普通に存在するもの。だから、それが自分にあるからといって恥に思う必要はなく、ただ「取り扱い方」にだけ注意しろっていうことです。

相手に直接ぶつけるんじゃなく、自分を成長させるエネルギーに使うの。

 

さらにもうひとつ言わせてもらえば、佐伯は人間、少々「嫉妬深く」「自分嫌い」なくらいがちょうどいいと思っている。

なぜなら人間、もともと怠惰にできてる、というのが私の持論なので、もし自分に満足して大好きになっちゃったら最後、その人は成長が止まってしまう気がするのだ。

それともうひとつ、「私は嫉妬しません」「自分大好き」とアピールしてくるような人に、これまでお友達になりたいと思った人なんてほとんどひとりもいなかった。

その多くは人に嫌われても気づかないほど思考停止してる人か、本当は不安でいっぱいなのにムリして虚勢をはってる人かのどっちかだった。

そもそも、本当に自分に満足してる人ってのは、もうちょっと静かである。

むしろ、「嫉妬深く」「自分嫌い」な自分をちゃんと自覚していて、それに日々ヘキエキしながらなんとか折り合いをつけてる人のほうがよほど面白い。

 

それに男の目から見ても、どっから見てもパーフェクトで自信マンマンな女の子より、ある程度やきもち焼いたりくよくよしたりする女の子のほうがカワイイんじゃないかなあ。

いつだったか、以前、70年代のパリで活躍してたマダム・クロードっていう高級娼館の女主人の伝記を読んだことがあるんだけど、その中の一節に確かこんなことが書いてあった。

10年前の写真に写ってる自信なさげなあなたをごらんなさい。そのほうが洗練された今のあなたよりはるかに男から魅力的に見えるはずだから」

いやあ、目からウロコでしたね。発想の大逆転。

このマダム・クロードのもとで働いてた娼婦たちはみな一流のレディになる教育を受け、王侯貴族や大富豪のもとへ嫁いだ女性が多かったんだけど、彼女たちが特にマダムに仕込まれたのはメンタルな面だった。

すなわち、どんなセレブのもとへ行っても堂々と渡り合えるだけの強いメンタリティを持ちつつ、かつ「可愛い」と思ってもらえる部分、すなわち「あまり自信を持ちすぎない」弱さは残しとけ、とマダムは言ったのだ。

今のフェミニズム的見地からしたら目をむくような言葉だけど、そういうことをスッ飛ばしてこれはある意味、真理なのかも知れないと思った。

「モテたい」「キレイになりたい」「人から好かれたい」「有名になりたい」どれも大いにけっこう。

少なくとも、自分の欲望を無視して無欲な人のふりをするよりも、真っ正直にそれと正面から向き合ったほうがよほど健康的である。

ただ、あんまり「完璧」をめざすより、ちょっとばかり「自分嫌い」なくらいでちょうどいいんじゃないだろうか。

完璧主義の人にはどんなに他人から評価されても心の休まる日は訪れない。そして、ちょっとでも自分が「完璧」の基準から外れたと思った瞬間、転落する危険をはらんでる。

 

そういう人には思い切って自分の「仕分け」をオススメする。

「ここはムリ」「ここはもうちょっとイケるかも」「ここはそうまでして伸ばしたところでなにか得られるものはあるのか?」という具合に、努力に値する部分としなくていい部分とに自分を仕分けしてしまうのである。

 

これは人それぞれなので、まず「自分は何があれば幸せなのか」を把握することがポイント。

ささやかな暮らしを楽しみたいのか、それとも脚光を浴びたいのか、堅実なダンナさんをつかまえたいのか、それとも思い切って高嶺の花のあの人に手を伸ばしてみたいのか。

「ニーバーの祈り」じゃないけれど、努力でどうにかなるものとならないものとの「仕分け」って大事である。

まあ、初心者のボブスレーみたいな人生歩んできた私がいうのもアレだけど、人間、「頑張りどころ」と「はしょりどころ」がわかるとものすごくラクになる・・・ってことです。