【佐伯紅緒のスーパーカミオカンデ】第136回
昨日、友達に紹介されたイケメンモデルのK君(22)が言った。
「佐伯さん、ぼく、B専なんです」
「B専?」
「容姿に自信のない女の人が好きなんです」
まーたまたあ、と聞き流していたら「じゃあ」と彼女の写真を見せてくれた。
K君、嘘ついていなかった。
そこに写ってたのは明らかに「B=容姿に自信がない」な女の子。
実際の造作がどうとかいうより、その子、服装、姿勢、表情、そのどれをとっても「B」がフツフツとわき出ていた。
「彼女のどこがいいの?」と聞いたら、
「自信マンマンじゃないところ、です。自分の価値をわかっていて堂々としてる女性ってぼく、苦手なんですよ」
聞けば、前に付き合っていた女性がそういう人だったらしい。
その女性は待ち合わせに一時間遅れてもへいちゃらで、文句でも言おうものなら、
「アタシのような美しい女が会ってやるだけでも感謝しなさいよ」
みたなノリで逆切れされ、デート代も全部彼持ちで平気な顔だったという。
そして彼はそれに懲り、次は自信なさげな「B」の彼女を選んだ。
こういうのを恋愛における「ニッチ(隙間)戦略」といいます。
つまり、この「B」の彼女は労せずして「美女にヘキエキしたイケメン」というニッチな男を手に入れたわけです。
そして正直、こういう話を聞くと私はすごくホッとする。だって、若くて顔もスタイルもいい女が、時間に正確だったりデート代ワリカンだったり気立てがよかったりしたらもう勝ち目なんかないもの。
そこでニッチの出番である。おそらく、この「B」の彼女のような女性は市場にゴロゴロいるんだろうけど、K君のような条件を持つ男はそういない。
そんな彼女の勝因はおそらく「たまたまその時、彼の目の前でウロウロしていたこと」。
かくいう私も基本的に昔からニッチ狙いの女でした。
「でも佐伯さんは自信マンマンに見える」とか言ってくださる人がいるかもしれないけど、私には自信なんかない。今でこそ後天的に積み上げてきたものに対する自信なら少しはあるけど、先の、
「おごらせて当然」
といった、生まれもっての「アタシっていい女」的な自信はない。
なにしろ、かつては恋人選びの最低ラインが、
1.薬物をやってない人(だからASKAさんはもうダメ)
2.人を殺してない人(経験者と付き合って懲りた)
3.精神を病んでない人(同上)
でしたから。
親の教育とは恐ろしいもので、幼少の頃から実の親に、
「おまえの容姿は並以下なんだから手に職をつけなさい」
と言われ続けて育ってきた私は、今でも自分の容姿というものに今ひとつ自信がない。
たまさかきれいに撮れた写真なんかがあると、ワーイとアップしちゃうのはそのせいです。
だから、今日に至るまでどこか「Bのなごり」を尾てい骨のように残していて、そんな私がキュンとくるのはたいていニッチ物件である。
つまり、なにかに秀でてはいるんだけど、どこか残念な部分がある人。
世の中には、
「二次元の女性しか愛せないという超絶イケメン」とか、
「友達がひとりもいなくても大丈夫な研究者」とか、
「一か月風呂に入らなくても気にしない芸術家」とか、
「小学生のとき卒業文集に書いた『アレキサンダー大王になりたい』という願いを大人になってもキープしている実業家」とかが、
実際に存在するんです。いるところには本当に、いる。
そして、私は普通の人より少しばかりそういうニッチな人たちとの遭遇率が高いので(自分から引き寄せてるという話もあるが)、だから過去ヤケドもしたし、いいネタもいろいろといただいてきた。
付き合うのにエネルギーは要ったけど、我が人生に一片の悔いなし、である。
でも、ニッチ狙いって実はそんなに悪いことばかりじゃありません。たとえば、そういう相手というのたいていは面倒くさいので競争率は低いし、いったん組み合わせがうまくハマればすごく大事にしてもらえる。
その利点を無視しちゃいけない。いってみればカッパ横丁でずっと探してた名匠の包丁が運よく安値で見つかるようなもので、だからもし近くに気になる「残念なイケメン」とか「偏屈な成功者」などがいたら、わたし「B」だから、なんてエンリョせず、勇気を出してさりげなく飲みに誘って吉、です、ハイ。